
札幌のエフェクターボード製作屋、ヘルニアエフェクトボードデザイン根尾です。
先日は高田馬場での試奏会、オフ会にご参加いただいたみなさま、本当にありがとうございました。
イベント前日の山脇さんの思いつきで急遽 8 区を自転車で周り、以前住んでいた場所も見れて懐かしかったです。今回のボードの名前の由来となった場所での撮影もできて満足でした。
翌朝、あれは霊障であろう…というくらい謎に自転車から投げ出されて派手に転ぶ、という中ケガハプニングを除いては良いことばかりでした。
またいつか違う街にも行けたら、と思っておりますのでその時はみなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
ということで今回は当日にご質問いただいたことでもありますが、なんでこういうことをこういうタッグでやっているのか、ということをあらためて書いてみようと思います。
たまに私自身、東京在住と思われていそうなメールもいただくのですが、私は北海道、札幌市民です。
ギターのレシピの山脇さんは横浜市、そこでメールマガジンを書かせていただいているので、根尾もその近辺にいるんじゃないか、と予想されるのはとてもわかりますが根尾は札幌在住です。
時は遡り、1998年。私は高校卒業後、専門学校へ行くために上京しました。
学費をペイするために新聞奨学生という制度を利用しての入学でしたので上京後、まずは新聞配達の仕事を覚える、という生活になったわけですね。
午前 2 時半起き、今となっては夜遅いんだか、朝早いんだかよくわからない時間に起きてお墓を横目に出勤するわけです。
お墓を横目に、というのはお寺の隣の住居の 2 階が新聞社の寮、住む場所として与えられておりましたためです。
ここが跡地です。すでに建物はなく、とてつもなく大きな桜の樹があったのですがすでに切られてしまっており、お寺感がグッと強めになっていました。
そんなこんなでそこから一年間、朝刊 (350部)、夕刊 (たしか180部)、週末には勧誘、月末には集金、と新聞配達と業務をしながら専門学校に通う、という毎日でした。
私の担当区域は 1 から 8 まである中の 8 区、通称『魔の 8 区』と呼ばれており、2 年続けられた人間はこれまで存在しない、という区域であまりにヘヴィ過ぎて結果、私自身も一年で辞めることになります。
終わり間際には誰も続けられなかったのなら私が最初になってやろう、新聞だけならもう一年できるかな、とも考えはしたのですが、専門学校との両立は困難で。
新聞配達するために東京に出てきたわけではないと思い直し、その後もたくさん挫折、失敗はしますが、これが人生最初の大きな挫折、専門学校中退となったのです。
1999 年 3 月、辞める私に変わって同じ新聞奨学生として入ってきてくれたのが山脇さんでした。
一ヶ月ちょっと 8 区の引き継ぎをして私は帰札。
そんな短期間でもヘヴィな引き継ぎとすごく気が合う、という感覚があり。
札幌に帰ってからも連絡を取り合っていたわけではありませんが、忘れはしない友人、そんな感じで。
その後の私はと言うと帰札後、早々にバイクで事故ってリハビリ中に見つけた張り紙から応募し 1999 年 11 月から 2016 年 9月まで楽器店で働くことになります。
いつだったかはっきりと覚えておりませんが、たしか 2014 年頃にたまたま facebook に山脇くんが表示されて、おぉ!!となってメールするわけですが、返信は来ず。
まぁずいぶん昔のことだしなぁと。
ですが、このメールの返信が忘れた頃の数年後に届きます。これがたしか2017年頃。
久々に電話で話して近況報告、18年ぶりくらいでもまったく変わりなく。
山脇さんはギターのレシピ、私は HNEBD と『音楽』という共通項があったことで『なんか一緒にできたらいいですね』と話していたわけです。
このことがきっかけでそのしばらく後、2018 年 4 月から現在も週一回、メールマガジンを書かせていただく、ということになりました。
私は携帯、SNS はあんまり見ませんし、Twitter も X もやってきておりませんでしたが、こういう奇跡みたいな再会もある、というのがすごい時代ですよね。
楽器店時代の先輩がギターのレシピのユーザーだったり、知らないところで知っている人同士がつながっている不思議もありました。
試奏会でヘルニアエフェクトボードデザインの意味は?というご質問をいただきました。
HELL : 地獄、NEAR : 近く
エフェクターに限らずではありますが、機材にハマるとどうしてもお金がかかるものです。
あまりにハマるとどんどんお金がなくなって地獄に近づきますよ、というややネガティブな意味を持っています。私自身もそういう部分がありますので。
加えて、エフェクターボードを充実させていくとどうしても重くなります。
重くなり過ぎると腰にくる、ヘルニアになっちゃうかもしれない、これもまたややネガティブ要素ですが、ひとつの可能性としてそういうこともあるんじゃないか、と。
最後は偶然ですが、私のイニシャルが “H.N” になるので、地獄の近くの私がつくるエフェクターボード、という意味にもなるため命名しました。
領収書をいただく時は毎回長くてお店の方には申し訳ないのですが、自分でやっていく名前、屋号を考えた時の意味、由来はこんな内容です。
中学校の時に観た映画、イージーライダーの影響で悪いはかっこいいみたいな、ちょっと捻くれた憧れからネガティブ要素があってもそれがかっこいいモノだったらいいんじゃないか、むしろそういう感じでモノをつくりたい、という思いもあります。
いろんな機材を売っては買って、買っては売ってを繰り返して今に至り、楽器店在籍時はたくさんの機材に実際に触れて聴いて見てきましたが、それでもこれはいいんじゃないか、にたどり着くまでにはやはりお金がかかるわけです。
逆に考えるとそこを省くと途中経過分はかからない、結果的にコレは良かった、そういうモノを集めてつくったらどうだろう、というのが最初のアイディアのひとつでした。
昨年ご協力いただいたアンケート結果や HNEBD でこれまで製作させていただいた方との打ち合わせでも『軽量、コンパクト』はいつも上位にくるもので、いつでも気軽に持ち出せるような小さくて軽いモノにする、と固まっていったわけです。
市販のケースありきではなく、中身から採寸したケース、エフェクターボードは特注品です。
そのため金額が高くなる要因ではありますが、ウルトラライトのキャンプ用品は高い、お金を出して軽さを買う、軽くするにはお金がかかる、は諸々共通なのでは?と考えています。
完パケなので一気に機材一式を揃えますから、販売価格で見ると大きい額ですが、軽量でコンパクト、エレキギターでの良い音、弾いていて楽しい音、というモノを目指した自信作です。
『魔の 8 区』と響きはアレでも最初のきっかけはあそこなので、我々が試して選んでつくったボードは 8 区の名前を冠したモノにしたかったわけですね。
当時はしんどすぎでしたが、今となっては良い思い出です。
再会時の『なんか一緒にできたらいいですね』から時間はかかりましたが、本当になんか一緒に、がまたできて、続けてきてよかったと思っております。
現在、中身の一部エフェクターの在庫状況の影響で納期はちょっと長めになって申し訳ないですが、引き続き受注生産しております。
実際に移動してみてわかりましたが、小さくて軽いは便利、リュックひとつで飛行機に乗れるサイズのエフェクターボードでした。
★おまけ★
8区、中継地点。ここで車で運んでもらった新聞を補充しておりました。
★ 完全パッケージのエフェクターボード、AREA 8 BOARD 受注受付中です!
★ 2022年に製作させていただきましたギタリスト高橋 克 様のエフェクターボードを 「こちら祇園二丁目濱田製作所 様」にてご紹介いただきました。ありがとうございます。HELL NEAR EFFECT BOARD DESIGN 製のエフェクターボードの音がご本人様の演奏で聴けます。
★ 過去製作は Instagram に載せておりますのでチェックしていただけると嬉しいです。『全都道府県に製作実績を』を目標にしておりますので、日本全国よりご相談、ご依頼、心よりお待ちしております。フォローしていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。