ギターのレシピの山脇オサムです。
1950年代に「いっちょやったるかい!」とアメリカ南部からシカゴに移って有名になったマディ・ウォーターズ。
マディ・ウォーターは泥沼という意味なんですけど、その言葉通り小さい時にいつも泥だらけで遊んでたからこの名前になったそうです。
もともと住んでいたアメリカ南部では、アコギで伴奏をしながら歌うという完全アンプラグドなスタイルだったんですけど、シカゴは都会でなかなかの騒音。
その路上で演奏するんですけど「これじゃぜんぜん聞こえんし!」ということでギターをアンプに繋いで爆音で演奏するようになります。
今じゃ当たり前なんですけど、当時はこれがむちゃくちゃ革命的だったみたいです。
カレーの隠し味で入れるすりおろしリンゴが、そのままの形でカレーの上に乗っちゃってる、くらいのインパクトだったかもしれないですね。
ギターが「単なる伴奏楽器」から「リードも取れる最高にイカしたな楽器」にステージアップした瞬間だと思います。
で、1つが爆音になると歌もハーモニカも電気を通すことになるので、サウンドがどんどんパワフルになってバンドっぽくなっていって、いわゆるこれがシカゴブルースになります。
ロバート・ジョンソンの弾き語りのデルタブルースから、バンドっぽいシカゴブルースになる、という革命です。
パワフルなサウンドにのせてパワフルに歌うマディ・ウォーターズのライバルとして登場するのが、それ以上に豪快に歌うハウリン・ウルフです。
マディ・ウォーターズより少し年上で、むちゃくちゃデカイ体でゴリッゴリのダミ声で歌うので、シンプルに怖ぇ!この二人はかなり仲悪かったようです。
そんなハウリン・ウルフのバンドでギターを弾いていたのが、ヒューバート・サムリンです。
そう。映画「サイドマン」で取り上げられていたギタリストです。(この映像もたぶんそうです)
ごっついハウリン・ウルフが自分の息子のようにかわいがっていたようで、間違いなくシカゴブルースのギターのあり方に大きな影響を与えてると思います。
いろんな映像を見ると、ギターが上手いからではなく本当に人として可愛がってたような感じがしましたねー。
でも60年代になるとブルースに影響を受けたミュージシャンがブルースを発展させてロックが誕生して、本場のブルースギタリストたちはかなりキツイ境遇になります。
ヒューバート・サムリンも同じで、日の目を見ることもなくただの「サイドマン」として生活していたようです。
そんなヒューバート・サムリンが年をとり、当時影響を受けたクラプトンたちと同じステージで演奏してる動画です。
「いっちょ若造たちと遊んでやるかい」なんて言ってそうでゾクゾクしますね!ストーリーを知ると本当に感動します。